2007年12月04日

終電が・・・! 2007.12.01

 慣れというのは本当に恐ろしい。今期の忙しさにもようやく慣れてきたと思っていたら、とんでもない落とし穴が待っていた。

 昨日は京都の塾で中3の国語の授業。先週は祝日だったので、2週間ぶりだったせいか、授業のテンポがなんとなくしっくりこない。それでも無事に終了し、コンビニで少し立ち読みした後、松屋で遅い夕食を取り、さぁ帰ろうと乗った電車はなぜか各駅停車。

 いつもは準急か通勤特急なので「きっと途中の駅で乗り換えなくちゃならんな、こりゃ」と思っていると、車内アナウンスが「この電車は正雀行き最終電車です」ん? 正雀行き? てことは、俺の乗り換えの十三までは行かないのか?

 おいおい、冗談じゃないぞ。念のため携帯のNAVI-TIMEで調べると、やはり俺の帰る駅までの終電は出た後の模様。正雀から自宅までは17kmほどあり、徒歩だと3時間はかかると出た。

 なんてこったい! ま、幸い明日は午後からの仕事だし、今夜は「朝まで生テレビ」だから、それでも聴きながら歩くとするか、それにしても3時間はキツいよなぁ、かといってタクシーなんかに何千円も払いたくはないしなぁ、などと思っているところへ父からの電話が。

 事の顛末を話したところ、どこかで自転車でも借りられないのかと言う。こんな時間にどこで・・・と言いかけたところで、はたと気づいた。そうか、買えばいいんだ! ドン・キホーテなら十三まで行けばある。それでも10kmは歩かなくちゃならないが、なぁに、10kmなら2時間も歩けば着くだろう。

 どうせ近いうちに駅までの足として自転車の購入をと考えていたことでもあるし、この機会に買ってしまおう。同じ金を使うんでも、タクシーに使うよりも、物が残る分、納得して使えるというものだ。

 こんな時、最新の携帯は本当に便利だ。全く知らない道でも、ナビに従って歩いていくと、そのうち、新大阪駅の明かりが見えてきた。ここまで来れば、あとは道もわかる。

 それにしても、思わぬ「夜のピクニック」になってしまった。まぁ、山登りを思えば、随分と条件はいい。気温が低めで汗もあまりかかないし、交通量も少ないので道の横断も楽だ。水分補給の手段にだってこと欠かない。

 何よりも、普段は電車か車で移動する距離を自分の脚だけで踏破するという征服感を味わえる。こればっかりは、山登りでは味わい難い。こう考えてくると、都会での「夜のピクニック」は、案外といいものかもしれない。土曜の終電で集合して、そこから始発までの時間に目的地までを歩くのだ。流行ったりして・・・。

 さて、そんなわけで、十三のドン・キホーテで自転車を購入した。自動点灯式ライト、前カゴ、車輪ロック式のカギから、スピードメーターまで装備済みの「処分品」があったので、それに決めた。後輪の泥よけが多少ゆがんでいるということで、更に1000円値引きしてくれたので、防犯登録も含めて17300円だった。

 そこから自宅までの道の快適だったこと! やっぱ、自転車はいいね! 年末年始の休みには、この自転車で遠出でもしてみるかな。
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2007年12月02日

東大の現代文 2007.10.10

 赤本(大学の入試過去問集)を買った。しかも、よりによって「東大の現代文」である。まさか、自分がこんなモノを買うことになるとは思いもしなかった。

 数年前から人気になり、テレビドラマにもなった「ドラゴン桜」を読み、東大の入試、特に現代文には興味はあったが、それにしても、実際に売り場で「東大の現代文」を手に取る時には、なんだか変な気分になった。

 知っているであろうか? なんと「東大の現代文」には過去25ヶ年分(!)が収録されているのだ。4半世紀分も収録する意味が、果たしてあるのだろうか? 俺が買ったヤツには1981年度の入試問題から載っているのだが、俺が大学に入ったのが1980年だから、呆れてしまう。

 しかも、これがバカ高い! 300ページ弱で2300円(+税)もするのだ。そりゃあ、本棚の隅にでも置いておけば、ハクはつくかもしれないが、とてもじゃないが、趣味じゃ買えない。

 今回はこの本を2冊も買った。2年前に家庭教師をした家から、先日、電話があり、今度は大学受験に向けての指導をしてほしいとのこと。ただし、本人は遠隔地の私立進学高に行っているため、寮生活をしている。そこで、連休等で帰宅する時に指導を、との依頼だった。

 実を言えば、彼は2年前に第1志望校には合格していない。俺は指導していて手ごたえを感じていたのだが、結果は不合格。今回、彼自身に聞いたところ、どうやら敗因は英語だったらしい。国語はできたと言っていたので、その点ではひと安心した。

 2年前の彼との勉強では、最初、彼が塾で使っていた「出口の国語」という参考書を使ったのだが、これがあまりにもひどい! 問題文の出典も書いていないし、どこの入試問題かすら明記していない。その上、肝心の「論理的な解法」とやらが何一つ論理的じゃないときている。解説も独善的で、なぜその答えになるのかの説明もテキトーだ。

 これ程杜撰な本が、受験界ではそれなりの「名著」として評価されているということ自体が、国語教育の貧困さを如実に物語っている。

 これじゃつくものもつかないので、さっさと石原千秋氏の「評論入門のための高校入試国語」に切り替えて、本当の「論理的な解法」を指導したのだった。

 今回、再び俺にお呼びがかかったということは、きっと俺の指導、及び、石原氏の本が気に入ってくれたからなのだろう、と思いながらお宅に伺うと、父親が石原氏の新刊を準備して待っていた。やっぱり。

 さて、それでは志望大学は、と聞いてみると「東大です」との答えが返ってきた。そこで、石原氏の本と、東大の過去問とを使って指導しようということになったのだ。

 実際に買ってみて驚いたのは、東大の赤本は明らかに他の大学の赤本に比べて、気合いが入った作られ方をしているということだ。出題傾向の分析といい、解説といい、そこらの受験参考書などより余程ためになる。

 各年度とも良質の評論が問題文として採用されているし、設問もさすがに的確で、こちらに「深く正確な読み」を要求してくる。巻末に付いている「出典評論著者索引」を見ると、25年間で一度も同じ著者の文章を出していないことがわかる。これは、いかに出題する文章を精選しているかの表れだろう。絶えず、より良い文章を求めている結果なのだ。

 これほど良質の参考書が、まさか赤本の中にあったとは・・・。東大志望者の指導という、今回のような機会でもなければ、気づくことはなかっただろう。ハイレベルの読解力養成用の参考書として、もっともっと利用されてもよいのではないか。
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2007年09月07日

警察というアホ集団

 先日、バイク盗難に遭った。駅前に駐めて家庭教師に行き、帰ってみるとバイクがない。最初は撤去されたのかとも思ったが、それにしてはそれらしき貼り紙もない。

 すぐに駅前の交番に行き、事情を話す。やはり今日、撤去は行われていないとのこと。バイク盗難と確定したので、被害届けを出さなければならない。

 ところが、ここで問題が一つ。俺のバイクは去年、車に当てられて、相手の保険で買い替えたばかりなので、ナンバーを覚えていない。

 駅前派出所のお巡りたちは、それでは被害届けは出せないと言う。だが、ナンバーから所有者の住所・氏名が割り出せるのだから、反対に俺の住所・氏名から、バイクのナンバーくらいわかっても良さそうなものだ。

 俺がそう言うと、ろくに調べもしないで、それはできないんです、などとぬかす。ほんとか?

 毎度のことだが、あいつらは誰が主権者か全然わかっていない上、被害者の気持ちなんか、最初から頭にない。

 お前ら、自分のバイクが盗られたとしても、そんだけのんびり椅子に座ってるんだな?

 こっちは一刻も早く被害届けを出したいのだ。ナンバーは後日にして、バイクのメーカー・色・特徴等を元に受理すりゃあいいじゃないか!!

 らちが明かないので、その日は帰った。次の日、買ったバイク屋に電話をして、事情を話しナンバーを教えてほしいと頼むと、今度は個人情報保護法とかいう誰のためだかわからない法律があるから教えられないと言う。

 本人が直接来るか、郵便でなら教えられるが、電話で教えることはできないのだとか。店に行ける時間があったら、電話では聞かない。ちっとは融通をきかせってんだ。

 翌日、バイク屋から書類が届いたので、近くの交番まで行き、やっと被害届けを出した。

 実は、その被害届けを書く時にも腹が立つことがあった。

 こっちは「かわいそうな」被害者だ。いたわられてもいいくらいだ。だいたい、俺のバイクが盗られたのだって、お前ら警察がバイク窃盗犯をしっかり取り締まっていないからだと言うこともできる。

 にもかかわらず、まるで当たり前のことのように「職業は?」「生年月日は?」と、無礼にも聞いてくる。これじゃあ容疑者扱いじゃないか。

 それともなにか? 俺の盗難バイクを捜すためには、それらの情報が必要なのか? 俺の職業や生年月日がわからないと捜せないのかい?

 散々イヤミを言ってやったが、それでも、そのお巡りにはこっちが何に不快な気分になっているのか、わからないようだった。

 さて、ここまでのことならば、改めてBlogに書くまでもない、まだ「やっぱ、お巡りってやつらは・・・」と苦笑して済ませる程度のことだったのだ。

 今回、俺が心底警察というアホ集団に対して呆れ果てたのは、その2日後だ。

 携帯に警察からの着信があった。えっ? もしかして見つかったのか? と思いながら出てみると、そうではなくて、書類の訂正があるので、申し訳ないがもう一度交番まで来てほしいとのこと。

 その日は仕事の関係で帰宅が遅くなるので、急ぎますか? と聞くと、いえ、今日中に来ていただければ、と言う。そのあと夜の11時頃にもう一度電話があり、何時頃になるでしょうか、との催促までされた。

 そんな訳で、帰宅後に車を出して交番まで行くと、お巡りが出してきた書類は、先日俺が書いた被害届けだ。その2ヶ所に訂正の附箋が貼ってある。

 日付の2007年が、いけなかったらしい。いやしくも皇国の赤子(せきし)としては、平成19年と書かなくてはならない・・・のか?

 そして、もう1ヶ所はというと、なんと住所の頭に「尼崎市」と書いてないのが官憲のチェックに引っ掛かったということだ。

 おいおい! 本気でこれだけのことで俺を呼んだのか? 警察のアホさについては、人並みには知っているつもりだったが、さすがに今回は己が耳目を疑った。

 お前らの目的は書類の体裁を融通の利かない風紀委員のように整えることか、それとも、俺のバイクを盗ったやつを捕まえることか、どっちなんだ?!

 こんなアホ集団を俺たちの貴重な税金で養っているのだとしたら、こんな国の国民、すぐにでもやめたるわい!!

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2007年08月02日

スネ夫の憂鬱:「しょうがない発言」について

 随分と時が経ってしまい、既に間の抜けた話となってしまった感は否めないが、どうしても書いておきたい。

 どこぞのアホ内閣のアホ閣僚その3だか4だかが、アメリカの原爆投下に対して、日本がアメリカとソ連に分割統治されずに済むためにはしょうがなかったとかなんとか言ったことが批判の的になり、結局辞任したそうな。

 更に、その発言に対して民主党の小沢党首は「アメリカに原爆投下への謝罪を求めよう」と息巻いたらしい。

 さて、確かに原爆を投下して一切謝罪をしないアメリカはクソ野郎だ。それは間違いない。その原爆投下を正当化しようとしているかに見えるウスラ大臣も言語道断であり、大臣辞任程度で許されると思ったら大間違いだ。

 原爆は人類全体に対する罪であり、どのような理屈をつけたとて、到底免罪されるべきものではない。世界は核放棄に向かうべきだし、唯一の被爆国である我が国は、その運動の先頭に立つべきだ。

 自らが禁断の核を使い、一言の謝罪もしない上、現在でも世界一の核弾頭を保有し続けているクソアメリカに、核のない世界の実現なんかできるわけがない。ましてや、自分は持ち続けるけど、お前が持つのは許さんなどという屁理屈で相手が納得するものか!

 その観点から見ると、現在ストップしている6ケ国協議において、北朝鮮に対して核を放棄せよと堂々と言えるのは、自らも核を持っていない国、すなわち韓国と日本だけである・・・はずだ。

 だが、我々には本当に北朝鮮に対して核を持つなと言う資格があるのだろうか? 非常に困難なことを承知で敢えて言うが、仮に北朝鮮の立場に立って考えてみると、日本や韓国は、アメリカというジャイアンの威光を笠に着て「ボクは武器なんか持ってないんだから、お前も武器を捨てろよな!」なんて正義ヅラして言っているスネ夫にしか見えないんじゃないだろうか?

 そう考えると、今回の件に対する小沢党首の発言は笑止千万だ。本気でアメリカに謝罪させたいのなら、まずはアメリカの核の傘から出てから文句を言うべきだ。

 反核運動をなさっている方々も、日米安保に目をつぶっての運動だとしたら、自己矛盾のそしりをまぬがれ得まい。

 我々の国・日本は、残念ながらこのようなスネ夫の国に成り果ててしまっているのだ。だから、我々の取り得る正々堂々たる道は、そう多くはない。

 @本気で核を憎み、世界の核廃絶を望むのなら、一刻も早く日米安保条約を破棄し、核の傘から出て、核保有国に対して核廃絶を訴え続ける。当然、アメリカに対しても、徹底的に原爆投下への謝罪と補償を求める。その際には、中国・韓国のしつこさが参考になる。

 A「抑止力としての核」をはっきりと認め、反核運動をやめる。この場合、アホ大臣の「しょうがない」発言を非難することはできない。

 上記2案の折衷案として、
 B日米安保条約を破棄し、日本自らが核武装した上で、アメリカに対しては原爆投下への謝罪と補償を求める。

 というのも考えられるかもしれない。

 しかし、こう考えてきても、決定打は見いだせない。

 どのみち現状は、自分の親を殺した仇の子分になって、守ってもらってるようなものだ。このままでいいわけがない。とはいえ、左の人はAには絶対反対だろうし、右の人達も、@を選択する「勇気」はあるまい。さりとてBは・・・。

 今の日本は、親や同胞たちを殺した敵がくれるチョコを喜んでもらっていたところから出発している。スネ夫の憂鬱は深い。

 
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2007年07月04日

唄ウマ芸人の進化

 少し前から「リンカーン」や「雨トーーク」などを発信源として、唄がうまい芸人「唄ウマ芸人」というジャンルが世間に認知されているようだ。

 だが、その中には確かに唄はうまいかもしれないが、ただそれだけ、別に聴いている人の心を打つ訳でもなく、本人が得意なカラオケを聞かされているだけという例も少なくない。

 特に、笑いの芸が今一つパッとしないのに、唄だけ自慢されても・・・という芸人も見受けられる。(例えば品川庄司の品川など)

 先日「エンタの神様」を見ていたら、久々に、これはっと思う新人が出ていた。名前は覚えていないが、OL風の2人組で、きれいにハモった唄にのせて負け犬の遠吠えネタを繰り広げていた。

 だがそれよりも、俺はその後に出てきたインパルスという中堅コンビのネタにちょっとびっくりしたのだ。彼らはこの番組に出る芸人の中ではベテランのほうなので、へぇ〜珍しいな、まだこんな番組に出るんだと思って見始めたら、なんと、俺が今まで見たことのないような斬新なネタが展開されたのだ。

 もんた&ブラザーズの名曲「ダンシング・オールナイト」を作曲家からもんたよしのりがもらってレコーディングするのだが、何回唄っても「あ〜いぇ〜い」という余分な声を出してしまい、とうとう作曲家のセンセイが怒るというネタだった。

 このネタのどこが斬新なのかというと、まずは既にある唄をそのまま使ってコントを作っているというところ。昔から「かしまし娘」や「玉川ブラザーズ」のような歌謡漫才と呼ばれるジャンルはあるのだが、コントでは俺は記憶にない。

 そして、もんた役の堤下が、唄ウマ芸人としての「芸」を存分に発揮して、唄う部分を見事に成立させていたところだ。彼が唄い始めると、客席から期せずしてため息と拍手があふれ出した。

 おそらく彼は、自分自身の唄ウマ芸人という新たなキャラクターをどうやったら自分たちの本芸であるコントに生かせるのかを必死に考えたのだろう。

 拍手である。他の唄ウマ芸人たちよ、唄がうまいことを自慢する前に芸人であるのなら、少しは堤下の芸人根性を見習うべきだ。

 最近の「エンタの神様」は、犬井ヒロシや平井ケンジなど唄を使ったお笑いを積極的に押しているようだが、今回の2組は本格的な歌唱力を生かしたネタ作りという点で今までのとは大きく違っている。

 なにはともあれ、インパルス堤下が「唄ウマ芸人」というものの進化型を見せてくれた。あとはこれをどう発展させていくかだ。期待したい。

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2007年06月29日

やったね!!

 中国・西安の大学で日本語を教えているFさんから、嬉しい報告をもらった。

 彼女はこの夏で1年間の任期を終えて帰国するのだが、自分の授業の最後のまとめとして『学習発表会』を計画したのだ。

 発表会の内容は日本の会社を舞台にした劇と、日本に関する研究の発表。

 思えば、すべてはあの夜の「いきなりハイテンション・カラオケ大会」から始まった・・・。

 それは4年前の3月だったと思う。その前の年、日本語学校で最初の卒業生たちと俺は、手作りの『学習発表会』をした。

 観客は隣のクラスの学生たちと、数人の先生たち。場所も普段の教室。照明も音響もほとんど無いに等しく、全然立派な会じゃなかったが、それでも学生たちは劇(俺が書いた「日本語は難しい!」)やスピーチ、ギターの演奏と、本当に頑張って発表してくれた。

 そして、その次の年、俺の目論見通り『学習発表会』は全校行事として正式に開かれることとなった。企画・運営の中心になったのは、俺を含めた総勢4名の「文化研究会」。そのメンバーの中にFさんもいた。

 俺以外は全員が舞台関係の経験は無い。当然のことながら、俺が中心になって、彼らにも仕事を覚えてもらいつつ、準備を進めることとなった。

 学校からある程度の金も出たので、基本的な音響設備(マイク・スタンド・アンプ・ミキサー・スピーカー・キーボード)だけは揃えることにした。

 これだけあれば、なんとかなる。照明設備はレンタルすることにしていたし、ホリゾント(舞台うしろの幕)はFさんのお母様が縫って下さった。

 その日、授業が終わり後始末も済み、普段なら退社時間になってから、会場の準備を始めた。買ってきた音響設備をセッティングするのがその日の仕事内容。

 「文化研究会」のメンバーで機材を運び、無事にセッティングも終了した。その時・・・!

 「いきなりハイテンション・カラオケ大会」が始まった。きっとみんな、連日の準備で疲れとストレスが溜まっていたのだと思う。1人がマイクを手に唄い出したかと思うと、次々と全員が時間を忘れてデタラメな唄を唄い、げらげらと笑い転げたのだ。

 あの夜、我々「文化研究会」の心が初めて一つになったような気がする。

 以来、Fさんにも何回か『学習発表会』の運営に携わってもらった。そのFさんが今度は遠い異国の地で、自分が中心となって『学習発表会』を企画・運営したのだ。

 俺としては、自分がまいた種が芽を出して花が咲いたようなものだ。嬉しくない訳がない。

 随分と苦労もしたらしい。大学当局との交渉でも散々嫌な思いもしたようだ。それでも彼女は諦めなかった。そしてとうとう、本番が終わったのだ。

 学生たちにとっても初の舞台。失敗しない訳がない。ハプニングの連続だったらしい。それでも、本番まで漕ぎ着けたということ、そして本番を経験できたということ、それだけでも大成功だ。

 練習の終盤、彼らの演技を見ているだけで泣けてきそうになったとFさんは言っていた。その気持ち、俺にもよくわかる。学生たちの苦労と、その結果としての進歩を、誰よりも近くにいて見てきたのだから、当然だ。

 最後には、学生たちからFさんへのサプライズ・プレゼントとして「先生へのお礼のビデオ」が流され、ただでさえ涙もろいFさん、号泣してしまったそうな。学生たちも男子も女子もみんな号泣だったとか。

 他の先生たちからも最高の褒め言葉と賛辞を頂戴したとのこと。これで、かの地にはFさんが種をまいたのだ。俺のまいた種はFさんが咲かせてくれた。Fさんのまいた種も、きっと誰かがどこかで咲かせてくれることだろう。

 Fさん、そして学生の皆さん、本当にお疲れさまでした。
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2007年06月23日

教え子の帰国に思う

 教え子が帰国する。去年、結構いい大学に入ったのに、あまり授業に出なかったらしく、今回ビザ更新が不許可となってしまったらしい。

 本人は心を入れ替えて授業に出だした矢先だったので、随分とショックだったようだ。

 まぁ、専門学校の時からお世辞にも熱心な学生とは言えなかったのだが、第1志望の大学に入り、やる気になっているのだとばかり思っていた。

 それにしても、毎度のことながら入管(入国管理事務所)による権力の恣意的運用には呆れてしまうばかりだ。

 今回も、本人が努力すれば進級も卒業も十分に可能だったらしいが、入管の担当官は「私は多分無理だと思いますから」との理由で更新を許可しなかったとのこと。

 つまり、実際に進級ができなかったから不許可なのではなく、進級の見込みが少ないとの理由なのだ。

 確かに彼の言わんとしていることもわからなくもないが、そんな仮定の理由で留学生の人生を大きく左右するような決定をしてしまっていいのか?

 だいたいお前達は、ちっともまともに入国審査もしちゃいないだろうが! そんなことは、この仕事(日本語教育)に関わったことのある人間なら誰でも知っているぞ!!

 本当に熱心で、日本で勉強がしたい学生にはビザを出さずに、ひらがなも書けないヤツにどうしてビザを発行するんだ?

 しかも、どんなに聞いても理由の説明は一切しないじゃないか! そりゃしないはずだ。正当な基準も理由も最初からないんだから。

 留学生は弱い立場で、しかも自分たちの恣意的運用は外部にはわかりにくい構造だときている。こんなシステムにあぐらをかいて好き勝手している入管の官吏ども! もっと真面目に仕事をしろ! 俺の税金を、お前らのちっぽけな権力欲を満たすために使うな! 

 この国が真にアジアに友人を作りたいのなら、まずは今の適当この上ない入管システムから変革しなくてはならない。いい加減、日本中の日本語教育関係者は声を上げてもいいんじゃないだろうか。
posted by どろんこ at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

とんでも親

 最近「とんでもないことを言う親(略して“とんでも親”)に悲鳴を上げる学校」というのが話題になっているらしい。先日もどこぞの大学院のセンセイが、この問題について本を書いたとかで、ラジオに出て何やら喋っていた。

 俺の経験から言っても、確かにとんでもない親はいる。だが、そのセンセイの研究・分析には大きな見落としがあるように思えてならない。

 「このような理不尽な親からの要求に対して、真面目な先生ほど悩み、疲れ切ってしまうのです」とセンセイおっしゃっていたが、果たしてその「真面目な先生」とやらは「いい先生」なのだろうか?

 真面目であるだけでは、いい先生にはなれない。真面目だけど授業がちっともわからない。だから生徒は授業が面白くないし、勉強が嫌いになる。誰もこの先生を好きにはならないし、いい先生だなんて思わない。こんな先生、そこらじゅうにいるはずだ。

 いい先生とは第一に生徒の能力を伸ばせる先生のことでなくてはいけない。そして、そのためには生徒たちから尊敬されるか、信頼されるか、または場合によっては恐れられるかしなくてはいけない。つまり「一目置かれる」存在である必要があるのだ。

 もし先生が一目置かれる存在であるのなら、そんな先生に対して理不尽な要求をする親はいないのではないだろうか。親は自分の子供の言うことを通して教師を知ることが多い。その子供が尊敬している教師に対して、いきなり高圧的な態度には出ないだろう。

 教師はまず生徒たちに「いい目を見せてやる」ことが必要だ。もちろんそれは、お菓子を配ることではないし、お世辞を言うことでもない。

 我々教師が生徒たちに見せてやれる「いい目」とは、取りも直さず「わかる喜び」や「できる楽しさ」を実感させてやるということだ。

 それさえできれば、自然と生徒たちは教師を尊敬し、信頼し、一目置くようになる。

 真面目に悩むのもよいが、その前に教師の本義を忘れてはいないだろうか。まずは、いかにしたらわかりやすい授業ができるのかについて、徹底的に考え、できる限りの努力をすべきだ。

 とんでも親の調査をする時には、是非とも「クレームをつけられている教師が、生徒たちからどの程度尊敬されているか」「クレームをつけられている教師の授業で、生徒たちの実力がどの程度伸びているか」という項目との相関関係についても調べてもらいたい。

 俺の予想では、生徒の実力を伸ばしている教師に対しては、とんでも親の理不尽な要求はほとんど出ていないはずだ。要は、親も含めた生徒たちからの信頼を勝ち取ればいいわけだ。

 とんでも親ごときにナメられてたら、教育なんてやってられねぇぜ!
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2007年06月19日

狭い世界

 今日から、日本語学校の職場にジェントルS氏が加わった。俺と一緒に西安に行ったあのS氏だ。これで、以前の職場の人間が俺を含めて3人揃うことになる。更に来月の半ばには元同僚・現大学院生のMさんが研究の資料集めのために東京から来る予定だ。

 それにしても日本語教師とは本当に狭い世界だ。つてをたどれば、どこで誰が働いているのか、全てわかってしまいそうだ。

 こんなに狭い世界なので、無論弊害も多い。第一にテキストの精度が低すぎる。明らかな間違いや事実誤認が何年もそのままにされている。

 いやしくも言葉の専門家たる者たちの集団なのだから、もう少し言葉に敏感であってほしい、と感じているのはどうやら俺一人のようだ。

 国語の教科書だってひとのことは言えないが、それでも日本中の国語教師と生徒たちの眼に晒されることによって、劣悪な文章は確実に淘汰されていく。ただ、新しく採用される劣悪な文章も跡を断たないが。

 それに比べて日本語教師の集団には自浄作用がないらしい。それもこれも閉鎖集団のせいだ。テキストの執筆者に気を遣い、言いたいことも言えないような雰囲気が支配しているようなのだ。

 バカらしい。あんなくだらん文章しか書けないような連中に何を遠慮することがあろうか。かかってこい!(笑)

 俺自身は今のところテキストを書く気などさらさらないが、どこかのしっかりした機関で、作ってくれないものか。意見だけならいくらでも言うぞ。こうなったら現大学院生のMさんだけが頼りだ。早く一人前の研究者になって、まともなテキストを作ってくれ!
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2007年06月17日

久々の怒り


 この1週間は結構大変だった。水曜までに高校の授業の準備(語句の意味調べシート作成)。木曜までに元同僚・現大学院学生のMさんからの依頼の文章添削。金曜までに日本語学校の読解のテスト作成。そして土曜までに専門学校のレポートの評価。

 我ながらよく乗り切れたものだと思う。しかも、火曜にはとんでもない腹立ちごとがあったのだ。

 その日は大阪芸術大学の公開講座「はなしことばの世界」の第1回「話し上手は聞き上手」に行ってきた。講師は大阪芸術大学放送学科教授の桑原征平という、元局アナ。こっち(関西)ではそこそこ有名らしい。

 ところが、このクソヤロウは2時間ずっと、くだらない漫談モドキと芸能界の裏話(それも京唄子の肌がきれいだとかいうレベル)を喋りっぱなし。

 何一つ話し言葉についての考察も分析もない。いくら参加費が無料だとはいえ、こっちは貴重な時間を割いて一つでも自分のレベルアップにつながるものを得ようと行っているのだ。これでは時間泥棒だ。俺の貴重な時間を返せ!

 しかもこのクソヤロウは最後に「というわけで、私は話し上手、みなさんは聞き上手というようなわけです。(笑)どうかみなさん、アンケートにこの講師の話はちっとも役に立たなかったなんて書かないでください(笑)」みたいなこと(正確には覚えていない)をヌカシくさる。

 よっぽど「ふざけるな!」と叫びたくなったが、そこは大人、ぐっとこらえてアンケートに「これが貴校の知性か」と書くにとどめて会場を後にした。あんな講師で満足しているんだったら、大阪芸術大学の学生の程度も知れようというものだ。大学は恥を知れ!
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